「名優」 窪寺昭が永眠いたしました。

たくさんの時間を共に過ごしてきましたから、
言葉にすることが今も中々できません。
振り返って「言葉」にすることは、
きっと、これからもできないんだろうなと、思います。
それだけの時間を、一緒に過ごしてきました。

この文章が形になっているか、わかりませんが、
彼を愛してくれている人の為に、伝えたいと思っています。

本当に、繊細で、優しい男でした。
例えば後輩に間違っていることを注意した時、
その後、一晩中「あいつは傷ついてないかな」と、悩むような男です。
明るく振る舞いながら、その中で下を向いている人間にそっと寄り添うような、
優しい男でした。

そしてとてつもなく才能に溢れた俳優でした。
いなくなったから言うのではありません。
出会った時からずっと、僕らの中ではそうでした。
彼の才能に嫉妬しているという俳優たちが、
負けたくない、とどんどん成長していきました。

出会ったのは1998年の夏、僕らが21歳の時です。
稽古場にふらっと遊びに来た彼と芝居を創り、
翌年の99年に彼は初舞台を踏みます。
そこからは、ずっと一緒です。
劇団を離れたことはありますが、僕らはそれでも一緒にいました。

何か抱えきれないような悩みがあると、
いつもそっとあいつは相談にやってきます。
同じ年の僕らは不思議な関係で、時に僕が怒られ、でも何かあるといつも
あいつは、相談にやってきました。
その真剣な眼差しが、自分を成長させてくれた事は間違いありません。
そしていつしか彼が、たくさんの人間に相談を受ける俳優になっていきました。
僕らは変わらないと思いながらも、少しずつ大人になっていったんだと思います。

去年の今ぐらい、互いに別の大阪公演があったのですが、電話が鳴り
大阪で飲みました。変わらずに、相談してくるあいつがいました。
元気になったあいつは、「劇団っていいな」と笑っていました。

あいつが眠る前日の夜も、AND ENDLESSの25周年公演の企画打ち合わせでした。
皆とあいつと笑いあいながら、いつものように。

こうなって分かったことはひとつ、友や、仲間や、メンバーだと言った言葉で
表現できる感情ではありませんでした。
彼の為にとか、彼の分まで、とかいう気持ちにもなれません。
時間の長さではない。
自分達の夢の先に、一緒にいて欲しい男だったから。
それだけだから。
同じ夢を、見ていたから。
でも僕よりも、僕らよりも、あいつには家族がいます。

あいつは、家族をとても愛していました。本当に。
そして家族も、誰よりもあいつを愛していたのは間違いありません。

僕らが皆で旅行する時も、海も川も、僕の誕生日も、
家族4人で必ず来ていました。
全て、窪寺家が一緒です。
その家族を思えば、僕らがすることはあるのだと、思います。

そして、こんなにもたくさんの人が
彼の芝居を愛してくれていたことを知りました。
ありがとう。

AND ENDLESSのサイトから、窪寺昭を外すことはしません。

あいつは、一生劇団員で。
あいつは、一生ディスグーニーです。

だから、共にいると思っています。これからも。

本当は、幽霊でもいいから会いたい。
でももしそれができるなら俺らより、家族に逢ってあげて欲しいと思うから。

あいつを愛してくれた人に、僕らはたくさんのものを残そうと思います。

これからの誕生日、グラスが二つになったな、窪寺。

ずっと変わらず、走っていこうな。



西田大輔